2018年11月7日水曜日

vol.2 NPO法人 江川エコフレンド前理事長
岡田年弘さん

vol.2
ふるさとの川を美しく、人々の憩いの場に。
若い世代と手を携えて、未来へ種をまいています。
NPO法人 江川エコフレンド前理事長
岡田 年弘さん
  本年平成30年(2018)は吉野川交流推進会議創立20年の節目の年。11月2日・3日には徳島市で三大河川シンポジウムが開催されますが、初めての三大河川シンポジウムは平成27年(2015)、NPO法人 江川エコフレンドの主催で吉野川市において開催しました。活動発表やシンポジウムの立案、現地ツアーの手配など準備に奔走したことを思い出します。

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 江川沿いに育った私にとって、川は遊び場でした。プールよりも江川で泳ぎ、唇を紫色にして震えながら岸に上がったものでした。また、ホテイアオイで舟を作ったり、たらい舟での鬼ごっこ、瓶や仕掛けでの魚捕り……あの頃は、網で魚を伏せると必ず数匹のイモリやカワニナが入っていました。捕った魚は食卓へ上がるので、子ども心に川の恵みを知ったものです。初夏にはホタルが舞い飛び、人々にとって憩いの川でした。
 一方、吉野川は「四国三郎」の名のとおりの暴れ川で、私が子どもの頃は、2〜4年に一度は大洪水となり、そのたびに阿波中央橋下流の木製の橋が壊されていました。川の楽しさと怖さの両方を、ふたつの川から教えてもらいました。
 江川湧水源は、夏季は冷たく10度前後、冬季は温かく20度前後になるという「異常水温現象」で知られ、昭和29年(1954)に徳島県天然記念物に指定されています。晩秋から冬になると、温かい水面からの水蒸気が冷気に冷やされ、2mくらいの高さまでもや(霧)がかかるので、道路を歩く人の胸から上しか見られないという不思議な現象が起こります。昭和60年(1985)には環境省の全国名水百選に選ばれましたが、その頃から都市化の影響で、家庭排水による汚染が急激に進み、魚やカワニナの姿は消え、汚泥が溜まった川底には水草もまったく見られなくなりました。環境汚染の様子を目の当たりに体験しましたね。




 平成4年(1992)に下水道が整備され、江川への廃水が改善され始めました。そんななか、行政・民間・企業が一体となって湧水源の継続的な環境美化に取り組んでいこうと、平成12年(2000)に江川エコフレンド(現在はNPO法人)が設立されました。平成16年(2004)には江川沿いの鴨島第一中学校の皆さんも仲間に加わりました。今では一般会員30名、法人企業13社、中学校教員・生徒350名の計400余名の団体となり、毎月1日朝6時30分から湧水源〜吉野川堤防〜江川鴨島公園一帯の清掃美化・環境保全に取り組んでいます。
 また、平成16年(2004)には、江川下流の住民たちと「江川奉仕橋かもクラブ」を結成。清掃活動だけでなく、両岸400mに川底のヘドロで花壇を造り、花菖蒲、ユリ、水仙など四季の花が咲き誇る河川敷公園を目指しています。隣接する吉野川高等学校の生徒さんとともに、毎年6月には「ユリの花祭り」も開催しています。

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 堤防が整備され、私たちは先人たちの苦労を忘れがちですが、善入寺島や徳島の南岸下流域に住まわれていた人たちの犠牲があって、現在の吉野川堤防が築かれ、私たちは災害から守られているということを忘れてはならないと思います。善入寺島を遊水地帯にするため、大正初期に約500戸3000人の住人たちは立ち退き移転させられました。この犠牲があって、岩津橋から吉野川河口までの両岸に念願の堤防を築くことができたのです。
 私の勤務する吉野川市鴨島公民館では、10月より昭和・大正時代の地域の記録、写真などを集めようと「昔を語り合う会」という講座を始めました。資料を集めて、いつか「吉野川歴史資料館」が作れるといいなと思います。

河川敷に花植えをする江川奉仕橋
かもクラブのみなさん
ユリや菖蒲が河川敷を彩る初夏に、
「ユリの花祭り」を開催