2016年3月11日金曜日

第1回 吉野川交流推進会議 会長 福永 義和

“ひと”の交流から、経済、文化の交流へ。
創立20周年に向け夢が広がります。
吉野川交流推進会議会長
福永 義和
早いもので、平成24年(2012)に吉野川交流推進会議の会長に就いてから2期4年が過ぎようとしています。今年度(平成27年度)8月29日には、吉野川市にて、NPO法人江川エコフレンド主催により「日本三大河川シンポジウム2015〜江川・吉野川の環境美化・保全の未来を考える〜」を開催することができ、手応えを感じています。
 平成24年6月、住友・美馬歴代会長さんから引き継いで会長に就任するや、全国初の三大河川の兄弟縁組に向け、東奔西走の日々に。9月30日には、筑後川、利根川、吉野川の三河川の関係者が集い、飯泉嘉門知事立ち合いのもと、川のワークショップ及び三大河川兄弟縁組締結式が行われました。ちょうど台風のさなかで、「さすが日本三大暴れ川!」と笑い合ったのが思い出されます。翌日、群馬県高崎市にいる弟から地元紙の「上毛(じょうもう)新聞」に記事が掲載されていたと連絡がありました。だるまの産地・高崎ということもあるでしょうが、全国ニュースになったことに驚きと喜びを感じました。
 これも歴代会長のご尽力、中村英雄副会長(新町川を守る会)の長年の交流の積み重ねや、縁組のきっかけを創った吉野川渡し研究会の日下事務局長あってのこと。心より感謝申し上げたいと思います。
以来、筑後川へは4回、利根川には3回と毎年訪れ、また、向こうのメンバーも吉野川フェスティバルに合わせて来徳し、シンポジウムや懇親会で交流を深めてきましたが、川を通じて深まった人の交流を、そろそろ次のステップに進める時期にきていると思います。例えば、地酒を持ち寄ってフェスティバルやマルシェで物産展を行っては?という話も出ています。人の交流から、一歩進んだ経済交流へ。それが更に新しい人の交流を生むはずです。
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吉野川交流推進会議は、徳島県と国が中心となって作成した「吉野川新交流プラン」を推進するために、平成10年に設立されました。現在112団体・企業の正会員による会費で運営されていますが、当会存続のためには安定した運営資金の確保が大切。会長就任後すぐ取り組んだのは会員の勧誘活動(笑)です。挨拶を兼ねて正会員を勧誘して回り、新規に9社の入会をいただきました。また、退会阻止3社、会費払い込み依頼など、表には出ない仕事ですが、これも会長の大切な役割だと考えています。
吉野川南岸、吉野川大橋から西へ600mが阿波銀行の
アドプト区間。「うちの土手」と名付けて、年3〜4回
の清掃活動を行っています。
また、今や全国各地で行われているアドプト・プログラムですが、実は平成10年、私の郷里・神山町が日本発祥の地です。当会では平成11年に「アドプト・プログラム吉野川」としてスタート。阿波銀行は開始当初から参加しており、私も行員とともに「うちの土手」で清掃活動に汗を流してきました。現在、138の団体・企業14034人が参加する当会の最大事業であり、全国に誇っていいシステムだと思います。空白地帯をなくし、もっともっと参加者を増やして活性化しなければと考えています。
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私は吉野川の支流・鮎喰川の最上流に位置する神山町上分の出身です。夏は一日中、鮎喰川で遊び、父親と投網でアユを捕ったり、ウナギやカニを追いかけていました。だから、私にとって川と言えば鮎喰川。吉野川を知ったのは高校進学で徳島市内へ出てきてからです。
 そんな私にとって、吉野川が特別な存在となったのは、昭和39年(1964)に阿波銀行に入行してからでした。阿波銀行の行章は「阿」の文字を三重の青い輪がつつむデザイン。三本の輪は行員の「和」と努力で地域社会に貢献しようという使命を表すとともに、古代から阿波の大地に恵みをもたらした四国三郎こと吉野川を象形したものと知り、吉野川の偉大さを強く意識するようになったのです。県外からのお客様を空港で迎え、吉野川橋にさしかかると、皆さん、川幅や水量に驚かれて感嘆の声を上げられます。私も北島支店長時代は、吉野川の堤防から見る夕陽の美しさとスケールに、全国何処にも負けないと感激したものです。水質はもちろんのこと、上・中・下流と変化に富んだ景観の美しさなど、清流・吉野川の魅力をもっともっと全国に発信したいですね。
 当会も平成30年に設立20周年を迎えます。正会員・賛助会員の皆様や行政機関、川のスペシャリストなど、皆様からご意見をいただきながら、節目の年に向け、さらに活動を推進させていきたいと思います。
「あわぎん連」で鍛えた阿波おどりが、河川交流でも
大活躍しています(右が福永さん)
吉野川の夕景は全国に誇れる美しさ